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最高のあげまん

私は高校2年の春にバイク事故で病院送りになったことがあります。

今思えば命を粗末にしていたとしか思えません。

ハイスクール時代の回想を小説風に書いてみましたゾ。

ちょっとえぐい話だが、俺は高校2年の3月、バイクに乗っていて車にはねられた。

左手薬指を切断したんだ。

落ちている指の欠片を見たときは

「何じゃこりゃ〜!」

と松田優作バリに叫んでいた。

自分の指が道路に落ちてるんだ。

今思い出しても吐きそうなな光景だ。

しかし、人間そういう状況のときは冷静なもので、自分の指を拾って

「氷で冷やさないと組織が壊死する」と足りない脳を総動員して、

聞きかじりの知識を引っ張り出すものだ。

近くにあった民家から氷を借りて冷やしながら、俺をはねた車に乗せてもらい、

病院まで向かった。

そのとき、指を切断したことは、俺をはねたドライバーのおばちゃんには

ひた隠しにしていた。

そこで、動揺されて、手元が狂い、二次災害でも起こされた日には、

指はおろか命に関わる。

おっと、話が横道にそれちまったので本題へ。

とにかく、そんなこんなで俺は1ヶ月くらい入院生活を送ることになった。

入院生活は不便だった。

しかも、指の動脈はつないだものの、静脈は細すぎてつなぐことができないため、

血が循環しない。

仕方が無いので、指に穴を開けて、血は流しっぱなし。

そうしないと指が壊死してしまうからだ。

しかも、その指の穴は絶えず、傷つけて血を流していないと、

固まってしまう。

血が固まらないように介護士に1時間おきくらいに指を傷つけて血を

流し続けるという苦行をずっと続けていた。

でも、痛みは無い。

神経もろとも吹き飛んでいるわけだから当たり前と言えば当たり前だ。

でも痛いほうがまだいい。何とも言えない感覚なんだよね。

自分の指であって、そうでないような。。

あれは経験した者にしか分からない感覚だ。

むろん、経験しないに越したことが無いのは言うまでもないわけだが。。


あるときなど、介護士がうっかり眠ってしまったらしく、朝起きたら

血が固まって、血流が遮断されており、指が変色していた。

彼は真っ青になって必死に血の塊を針でほじくり、血を出そうと

していたのを他人事みたいに見ていた。

当時の俺はどことなく冷めたところのある子供だった。

ああ、もうこの指はもう駄目なんだなと思った。


不便だったのはトイレだ。

指は固定されているので、トイレには行けない。

結局、尿瓶というのを使うわけだが、

あれは、ほんと嫌なもんだった。

思春期だし、看護婦さんには見られたくない。

何とか一人でやっていた。

しかし、あるとき手が滑り、床に尿瓶をぶちまけてしまった。

このときはさすがに俺もへこんでしまった。

指がつながる確立は50%だと医者から言われていたし、

しかも入院中、高校3年に上がっていた俺は完全に受験から取り残されている

存在だった。

いくら冷めているとは言え、何か一人置いていかれているみたいで、

精神的には不安定な状態。

そろそろ、泣きが入っていた。

体を固定されている状態ではどうしようもないので、

床にこぼれた尿をアホみたいにぼ〜っと眺めていた。

そのときだった。

一人の看護婦さんが入ってきた。

彼女だ。

一目見て状況を察したらしく、何も言わず、雑巾を持ってきて

掃除を始めた。

彼女は何も言わず、ただ黙々と床を拭いていた。

普段はちょっかい出したり、軽口をたたいたり、バカ話ばっかりしている

相手だったが、このときは驚くほど彼女は静かだった。

俺は当時ガキだったが、あえて何も言わない彼女の心遣いは理解できた。

時には何も言わないほうがいい。

そういう場合だって、世の中にはある。

彼女はそんな心のひだが分かる人だった。

俺はさすがに謝ろうと思った。

「悪りぃ。ありがとう。」

と言いかけようとしたそのとき、

彼女は言った。

「ま、こういうこともあるさ。」

自分の中で何かが弾けるのが分かった。

そのときの俺はおそらくアホみたいな呆けた顔をしていたんだろうと思う。

彼女は尿瓶をこぼした俺に一言の文句も言うわけでもなく、

かといって哀れみをかけるわけでもなかった。

ただ、一言

「そういうこともある」

そう言ってくれた。

尿瓶をぶちまけたという出来事は、俺の中でそれ以上の意味があった。

だから、「そういうこともある」という言葉は単に尿瓶をこぼしたことだけを

言っているのではないような気がした。

手術明けすぐに警察の取調べを受け、学校を停学になり、受験からは取り残される。

何より肝心の指は半々の確立でつながらない。

そんな状況諸々を含めて、彼女は

「そういうこともある」

そう言ってくれている気がした。

俺の状況をこの人は察してくれている。

それがガキだった俺にも分かった。


しばらくして、俺は復学した。

指は運よくつながった。

バイクは禁止されていたので、停学処分だったみたいだが、

一応被害者だからというよく分からない理由で、学校は入院期間を停学期間にしてくれた。

いい加減なもんだ。

退院後は、週に1回通院するだけでよくなった。

ある日、通院したら、先生が記念写真を撮ろうと言い出した。

「俺的には記念にしたくない事故なんすけど」

思わず突っ込みたくなったが、

俺の指をつなげてくれた恩人なので、そこは合わせた。

その日はちょうど彼女も出勤していた。

俺は彼女の隣にさりげなく立った。

シャッターが降りる瞬間、俺は彼女の肩を組んで引き寄せた。

彼女は「何すんのよ〜」と怒ったが、後の祭り。

俺はポラロイドですぐに出てきた写真を先生から受け取って帰って

写真立てに飾った。

俺の隣にちょっとびっくりしたような顔をして写っている彼女の写真は

今でも俺の実家の写真立てに飾ってある。

ちなみに、後日談ですが、

この看護婦さんに惚れた私は退院するときにデートを申し込みましたが、

あっさりかわされました(^_^;)

まあ、相手は24〜5歳だったので、17、8の高校生のガキなどまともに

相手にするわけがなく、当たり前と言えば当たり前なんすけどね。

ただ、精神的に落ち込んでいたこの時期、この看護婦さんは私に色々な

場面で勇気と癒しをもらいました。

今でこそ、指の一本や二本くらい、それ以上に困難なことなど世の中には

山ほどあることを知ってますが、当時の私にとっては、指はやはり大問題でしたからね。

結構、指がつながるかどうかは精神的な影響もあるらしく、この看護婦さんには

今でも、本当に感謝しています。

結局、つきあうことは叶いませんでしたが、この当時、色々なことを教えてもらえた

最高のあげまんでした。